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LETTER TO clinic

患者様 ご家族様より

これまでに当クリニックが、訪問診療でお伺いさせていただきました患者様やそのご家族の方々からのお手紙をご紹介いたします。死と向き合い生きることが、どんなに尊く厳粛なものであるかが伝わってきます。そして私たちは、患者様の生き方、そして逝き方を通して沢山の学びをいただきました。
今回ご紹介するお手紙はその中の一部です。ご家族様にご了承を得てイニシャルで掲載させていただいております。このお手紙を掲載することで、いずれわが身にもと思っていらっしゃる方々やご家族、これから在宅医療の道に進む医療従事者の方にとって、少しでも何かを感じていただければと思います。
既にご逝去されました方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

謹啓
梅雨の晴れ間にのぞく青空がまぶしく夏を感じるこの頃です。 早いもので主人の逝去から半月が過ぎてしましました。
先生の往診が始まったのは、今年1月25日からでした。 4ヶ月と短い間でしたが、大変お世話になり、主人に代わり深く御礼申し上げます。

主人も私も先生にお会いすると何かホッとするんです。 何でも相談できる、的確な応えをもらえる、信頼できるお医者さまでした。
主人の前立腺ガン末期が発覚した4年半前、ずっと健康だと信じておりましたので夫婦して崖から落とされたようで2人して落ち込みました。 蜘蛛の糸を手繰るように愛知ガンセンターに駆け込みました。 あれから4年間主人も前向きに標準治療を受け、平穏な生活を送ることができました。

私は主人の闘病中にだいぶ強くなったと思います。とにかく自分は元気でいて主人を支え最期まで自宅で看てあげたいと心に決めていました。石賀先生にお世話になりたいと思っておりました。
しかし、看病中を振り返ると、たくさん後悔や心残りがあります。「痛い、痛い」と言ったら「薬飲んだら?」。「しんどい、しんどい」と言ったら無視したり、「足マッサージして」と言ったら「ちょっと待って」と言ったり、どれだけ主人の辛さをわかってあげてただろうと思います。

あの日主人は最後の望みをかけて輸血に行ったと思います。まさか血管が見つからず輸血を断念になるとは…主人は無念だったと思います。
私はまだ大丈夫と思っていたので病院から帰って間もなく亡くなってしまうなんて…悲しいです。きっと主人は早く家に帰りたかったのだと思います。
最期、自宅で息をひきとった事、良かったです。
あの日、先生が芳山さんを手配していただかなかったら、私1人、車の乗り下ろしとてもできなかったし、家に帰り、容態が急変してもわからなかったです。

最後、石賀先生、看護師の方々、芳山さんに見守られながら旅立ちました。64歳と6ヶ月の人生でしたが、『幸せな結末』をありがとうと言ってました。『幸せな結末』は、故 大滝詠一氏の楽曲です。主人は大滝詠一氏の歌が大好きでした。30年程前キムタクと松たか子さんの月9ドラマ「ラブジェネレーション」の主題歌でした。

いしが在宅ケアクリニックの先生方、看護師の皆様、お世話になった事感謝いたします。 ありがとうございました。いしが在宅ケアクリニックの皆様のご健康とご活躍を心よりお祈りしております。
敬具

M様ご家族様より

石賀先生、いしが在宅ケアクリニックの皆様へ
拝啓
桜の花が咲く季節となり、クリニックの皆様にはおかわりなくご清栄のこととお喜び申し上げます。昨年亡妻がお世話になり、ありがとうございました。
10/28~12/6までの短い間でしたが、いしが在宅ケアクリニックの皆様のおかげで在宅介護ができ、家族の時間を大切に過ごすことができました。家族にとって大変幸せな時間となりました。病床の妻が、11月のある日に穏やかな表情で、「今、幸せだよ」と言ってくれました。住みなれた自宅で介護ができたことを、この時、本当に良かったと感じました。
その後病状が悪化して、石賀先生から遠隔地の娘に自宅に戻るようにと言って頂き、最後の時を家族そろって迎えられたことは、感謝しかありません。看護師であった妻は、クリニックの方々を様々な想いで見ていたと思います。現在の在宅医療の充実ぶりに驚いていたようです。そして、先生をはじめとしたスタッフの方皆さんが優しく、楽しく、寄り添うようにお話をしていただいて、安心して在宅で過ごせました。 また新しいクリニックを訪問できたことも、よい思い出となりました。

ところで、クリニックの名前の「シリウス」と言うと、私は「星のかけらを探しに行こう」という曲が好きで、歌詞にある「蒼いシリウスが目印」をすぐに思い浮かべます。
妻とは、高校の同級生でお互いに想いを寄せながら私が大学生となって千葉県へ行って、妻は地元の看護学校へ進みました。離ればなれとなりましたが、就職で私が名古屋へ戻り、偶然再会しました。歌詞のように再会できたのです。その後、結婚をして、転勤で四日市に住み、子供が成長して、各々の仕事や学校で、家族で集まって団らんするようなことが少なくなりましたが、また「シリウス」を目印に最後に家族みんなが揃い、集まり、団らんすることができました。これからも日本一の在宅クリニックを目指して、頑張ってください。
亡妻と共に、応援しています。家族一同の感謝の気持ちを伝えたく、このような手紙で伝えさせて頂きます。
敬具

2021年3月24日

T様ご家族様より

石賀丈士樣
長い間お世話になり、本当にありがとうございました。M.S(88歳)無事 葬儀と納骨を終えることが出来ました。コロナ禍のおかげで、母の望み通り家族葬で送ることができ、ほっとしています。

元気な頃より何度も話し合って決めた母の思い通りの最期でした。信頼する大好きな石賀先生のお世話になり、 苦しいことや辛いことはしないでほしいと望んでおりました。長年リウマチを患っていましたが、安らかで穏やかなお顔の老衰でした。 お別れが近づいた時の様子を丁寧にご説明して頂き、どんな変化が起こるかあらかじめ知っておくことで、 安心して母に寄り添えました。
子どもの頃より優等生だった母らしく、自然な経過を順番に全てみせてくれました。素晴らしい大往生、あっぱれな生きざま(死にざま)でした。

この15年でみとりは5人目です。その時々の精一杯をやったつもりでも、これでよかったのか、私でよかったのか・・・と思いが残りました。今回はこれで良かった、 母の意向に沿って全てを叶えることができた満足死です。 母と一緒に尊い極上の時間を過ごすことが出来ました。
できることなら、私があっぱれと旅立つ姿を子や孫に みせて人生を終わりたい、命を繋ぎたい・・・という新たな夢ができました。
長年のリウマチと頸椎圧迫で身体が全く動かなくなり、 要介護5になってから約6年、 石賀先生には大変お世話になりました。 寝たきりから、車椅子で自走したり、介助付で歩行できるまでになり、奇跡の大復活!!石賀先生が往診に来て下さると元気百倍、笑顔いっぱいになり、日常の姿をみて頂けないという愉快なおまけもありました。自分の思いを通し、時にわがままに感じることもあったと思われますが、いつも私たちの味方、M.Sさんファーストで考えて下さいました。 最期まで寄り添っていただき、心よりお礼申し上げます。
石賀先生にお逢いできてよかった、その出逢いに心の底から感謝いたします。

令和2年10月15日

S様ご家族様より